No.6

公判で次々と露呈する「事件」の真相 1

 第5回公判(6.24)、第6回公判(7.7)には東労組を脱退し、JR東日本を退職したYに対して、弁護人から鋭い反対尋問が行われました。そのなかで、今回の「事件」の真相が続々と明らかになっています。その一端を紹介しましょう。

警察・検察の手でつくりあげられた事件のストーリー

 事件のストーリーが作られていく過程をYはこう証言しています。

 

<警視庁公安部が事情を聞きたいと言ってきた>

弁護人:今度の件で最初に警察に行ったのはいつですか。

 Y :警察の人が詳しく事情を聞きたいと言ってきたのです。

弁護人:それはどこの警察の人ですか。

 Y :警視庁です。

弁護人:警視庁の公安部ですか。

 Y :そうです。

弁護人:自宅を訪ねてきたのですか。

 Y :そうです。

弁護人:なんと言って来たのですか。

 Y :組合問題で脱退させられ、JR東日本も退職させられたと聞いたが、事実関係はどう だったのか聞きたいと。

 なお第2回公判で警視庁公安部の警察官は、事件の捜査に、被害届が出される以前の2001年12月21日から携わったと証言しています。警察によるYへの接触はその後ということになります。Yの届出から捜査がはじまったのではありません。つまり警察が仕組んだJR東労組への弾圧にYが担ぎ出され、利用されたということではないでしょうか。

 

“被害届は警察官が書いた”

弁護人:平成14年2月11日に被害届を出したことになっていますが、そうですか。

 Y :そう記憶しています。

弁護人:被害届を出す前に警察の人とは何回くらい会いましたか。

 Y :覚えていません。

弁護人:1回、2回、3回、それとも10回。

 Y :…(沈黙)

弁護人:被害届の書き方は誰に教わったのですか。

 Y :自分が被害の状況を話して、警察の人が被害届を書いてくれました。

弁護人:被害届は脅迫、強要で出したのですか。

 Y :…(沈黙)

弁護人:罪名を覚えていないのですか。

 Y :えー…。(沈黙)今、思い出せません。

 なんと、被害届まで警察官が書いたというのです。繰り返し事情を聞きながら、ストーリーを練り上げ、それをもとに被害届がつくられたのでしょう。

 

“検察官に資料を見せられて記憶を整理した”

弁護人:集会のはじめのほうは外で待機していたのですね。

 Y :はい。

弁護人:その時間を30分から40分と答えていますね。

 Y :はい。

弁護人:警察では15分と答えていますが。

 Y :覚えていません。

弁護人:どうしてこんなに違うのですか。

 Y :はじめて話した時は自分の記憶で答えたのですが、検察では資料を見せられて、自分 の記憶を整理して言いました。

弁護人:あなたの記憶は15分で、検察で資料を見せられ3、40分と修正した。

 Y :私の記憶が誤りだということです。

 さらに検察段階では、都合の悪い記憶を「整理」し、検察の筋書きにあわせて「記憶」がつくりかえられていったのです。

 

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